漢字の成り立ちを理解するために
『字源の栞』へ御アクセスいただきありがとうございます。
当サイトは漢字の字源、いわゆる「漢字の成り立ち」を専門に扱う個人サイトです。
漢字の成り立ちを理解するには、前提知識が必要となります。
まずはこの記事を読んで、必要な知識をしっかりと頭に入れておきましょう。
漢字の成り立ちは現在進行形で研究が進められている
まず知っておくべきことは、漢字の成り立ちは現在進行形で研究が進められているという点です。
漢字の成り立ちを調べたいとき、とりあえず Google で検索してみたり、漢和辞典を引いてみたりする人も多いかもしれません。
しかしそういった情報源は、最新の研究成果に基づいていないことがほとんどです。
たとえ漢字の専門家が編纂した漢和辞典であっても、編者が古代の漢字を一瞥もせずに成り立ちを書いている……ということも少なくありません。
漢字の専門家と呼ばれる人物であっても、古代漢字研究に詳しいとは限らないのです。
もちろん、古代漢字研究の専門家が編纂した字書もあるわけですが、それも今となっては古い情報です。
漢字の成り立ちは出土資料の解読などに伴い、現在進行形で研究が進められています。
古代漢字の研究成果は現在進行形でアップデートされ続けているわけですから、古い時代の権威にしがみついて盲信するというのは、学術的な態度ではありません。
漢字の成り立ちを学ぶには、最新の研究成果を常に追い続ける必要があります。
漢字は古代中国語を表記するために作られた
続いて、漢字は古代中国語を表記するために作られたという点を理解しておく必要があります。
漢字はその名の通り、中国で生まれた文字体系です。
そして漢字は、古代中国語を表記するために生まれました。
ここでは、言語と文字は別であるということに注意が必要です。
言語と文字は別である
もしかしたら、言語と文字の区別なんて考えたこともないという人もいるかもしれません。
しかしこれをハッキリと区別しない限り、漢字の成り立ちを理解することは絶対にできません。
まず、文字が生まれるよりも先に音声言語があり、人々は音声言語を使って会話をしていました。
そして文字とは、その音声言語を記録するための手段です。
音声言語は目に見えませんから、そのままでは記録することが困難です。
そこで音声言語を目に見える形で書き表したものが文字というわけです。
文字を使って言葉を記録することで、遠くの人に意思を伝えたり、後世の人へ向けて出来事を記録したりといったことが可能になりました。
このように、音声で伝える言語と、視覚情報で伝える文字は、全く別のものなのです。
古代中国語と漢字の関係
漢字は、古代中国語という音声言語を記録するために生まれた文字体系です。
漢字の成り立ちを理解するには、その背景に古代中国語が存在しているということを常に意識しておく必要があります。
そして漢字は原則として、一文字が一単語と対応するように文字が作られました。
たとえば、「目」という字は、古代中国語で「め」という意味の{目}という単語を表記するために作られた字です。
(文字を表すときは鍵括弧「」で、単語を表すときは波括弧{}でくくって表記します。)
このように、漢字は一文字が一単語を表記する文字体系であることから、表語文字と呼ばれます。
よく「漢字には意味がある」といわれますが、実際には漢字が表す単語に意味があるのです。
漢字が直接意味を表しているというわけではありません。
漢字の一字一字は、古代中国語の単語を表記するために作られました。
漢字の成り立ちを考える際は、「どんな意味を表すために作られた字なのか」ではなく、「どんな単語を表記するために作られた字なのか」を考える必要があります。
古代の漢字と現在の漢字
次は、古代の漢字と現在の漢字の関係について見ていきましょう。
漢和辞典のなりたち欄などで、古代の漢字の字形が載っているのを見たことがある人も多いと思います。
現在の漢字とは全く形が異なっていますから、両者は別々に発生した別の文字だと考える人もいるかもしれません。
しかしそれは勘違いです。
間の時代の字形を見るとよくわかります。
人の目の形から、だんだんと現在の「目」の形が出来上がっていくのがわかります。
もうひとつ、「馬」の変化も見てみましょう。
馬の全身の形から、簡略化などを経てだんだんと現在の「馬」が出来上がっていく様子がよくわかります。
よく「馬」の四つの点は馬の四本脚を象ったものと説明されることがありますが、古代の漢字と比較してみると、これは誤りであることがわかります。
このように、漢字が生まれてから現在に至るまで、漢字は絶えることなく使われてきました。
絶えることなく使われてきた数千年もの間に、少しずつ形が変化することで、現在の漢字の形が成り立ったのです。
古代の漢字と現在の漢字は連続しているということを、理解しておきましょう。
単語の意味から文字を作る
ここからは、個々の漢字がどのように作られたのかを見ていきましょう。
まずは、単語の意味から文字を作る手法です。
このように、単語の意味から作られる文字のことを、意味を表記した文字であることから表意文字といいます。
よく漢字は表意文字であると言われますが、先述したように漢字は表語文字です。
後述しますが、表意文字は漢字の中でもごく一部であるということに注意が必要です。
もうひとつ、「休」の字も見てみましょう。
これは「やすむ」という意味の{休}という単語を表記するために作られた文字で、人が木陰で休むさまを描写しています。
ただし、「休」が人が木陰で休むさまを描写しているからといって、{休}という単語が「人が木陰で休む」という意味であったというわけでは決してありません。
「人」は「やすむ」という動作を行うものの一例で、「木陰」もまた「やすむ」という動作を行う場所の一例です。
文字面だけを見て存在しない意味を作り出さないよう、気をつけましょう。
既存の文字を別の単語に当てる
漢字は単語の意味から文字を作る表意文字から始まりました。
しかし全ての単語が、その意味を表記できるとは限りません。
そこで、いわゆる当て字の手法が考えられました。
つまり、単語の発音を利用して文字を当てる手法です。
まずはこの字を見てみましょう。
これは「北」という字です。「そむく」という意味の{背}という単語を表記するため、人が背を向け合うさまを描写しています。
しかし現在、「北」という字は、南北の{北}や敗北の{北}というように、「きた」や「敗走する」といった意味で使われます。
これは当て字によるものです。
古代中国語で発音の近い別の単語に、既存の「北」という字を当てて表記したわけです。
古代中国語の発音
{背}と{北}の古代中国語での発音は、以下のようなものであったと考えられています。
|
単語 |
意味 |
上古音 |
日本語 |
|---|---|---|---|
|
{背} |
そむく |
pˤəkh |
ハイ |
|
{背} |
せなか |
pˤəkh |
ハイ |
|
{北} |
きた |
pˤək |
ホク |
|
{北} |
敗走する |
pˤək |
ホク |
古代中国語の発音のことを上古音といいます。
ただしこれは、古代中国語で起こっていた法則を説明するために再構築されたモデルであり、あくまで仮説に過ぎません。
ですから、発音記号を読んで実際に発音することは重要ではありません。
たとえばここでは「末尾の h を付け外ししても発音は近いものとして扱う」という法則が分かっていれば問題ありません。
また上古音では pˤəkh と pˤək は近い発音でしたが、現代の日本語では「ハイ」と「ホク」と大きく乖離しています。
上古音の僅かな差異であったものが、数千年もの時を経て大きな差異へと変化したわけです。
ですから、発音が近いかどうかというのは日本語の音読みだけでなく、上古音を比較する必要があります。
当サイトにおいて、上古音は布之道『広韻形声考』(2022)の体系に基づき、独自に補完や修正を加えた形を表示しています。
仮借と引申
さて、「北」の字を南北の{北}や敗北の{北}に使うのは、背反の{背}との発音が近いことを利用した当て字なのでした。
このように、発音が近いことを利用して別の単語に文字を当てる手法を、仮借といいます。
このとき、元の単語と当てる先の単語が別の単語であることが重要です。
意味や語源が近いかどうかは全く関係ありません。
仮借には、満足の{足}(たりる)と手足の{足}(あし)のように、意味的な繋がりがないケースもあります。
その一方で、満月の{月}(つき)と年月の{月}(つき)のように、意味的な繋がりがありそうなケースもあります。
しかし、満月の{月}から年月の{月}が派生して生まれるプロセスは、文字の運用とは全く無関係です。
決して文字の形から連想して意味が広がっていったのではありません。
一昔前の古文字学では引申と称してこのような説明がされることがありましたが、言語学の視点で見ればこういったことはありえません。
言葉が生まれるプロセスと文字を運用するプロセスは、必ず独立した別個の事象として扱う必要があります。
語源と字源を混同することのないよう、気をつけましょう。
表す単語を区別する
そんなわけで、仮借のシステムによって文字で表記できる単語の数は格段に増えました。
しかし、ひとつの文字でたくさんの単語を表すとなると、文章を読むのに支障をきたしてしまいます。
そこで、文字に記号を加えて表す単語を区別するという手法が考えられました。
先ほどの「北」の場合、表す単語を背後の{背}(せなか)に限定するため、人体に関する事柄を表す記号である「肉」を加えて「背」の字が作られました。
さらに背後の{背}(せなか)と同音異義語である背反の{背}(そむく)にもこの「背」の字を当てて表記するようになりました。
これによって pˤək の音は「北」、pˤəkh の音は「背」と役割分担が成立し、文章が読みやすくなりました。
形声文字
ここで、「背」の字の構造を分析してみます。
まず「北」という字は、「そむく」という意味の単語を表すために作られた文字ですが、仮借によって南北の{北}や敗北の{北}の表記にも使われました。
したがって、「北」は pˤək や pˤəkh に類する単語の発音を表していると考えられます。
次に「肉」という字は、「北」の字が表す単語を背後の{背}(せなか)に限定するために加えられた、人体に関する事柄を表す記号です。
したがって、「肉」は単語の意味のカテゴリを表していると考えられます。
このように、単語の発音を表すパーツが組み込まれた文字のことを形声文字といいます。
形声文字において、単語の発音を表すパーツのことを音符または声符、単語の意味のカテゴリを表すパーツのことを意符または義符といいます。
そして「背」における「肉」のように、表す単語を限定するために加えられる符号のことを限定符といいます。
形声文字の多くは「背」のように、既存の表語文字に限定符を添加することで形成されました。
現在では、漢字全体の 9 割以上を形声文字が占めているといわれています。
ですから、漢字をふたつ以上のパーツに分解できる場合、それは形声文字である可能性が高いです。
よく使う文字を簡略化する
既存の文字に限定符を添加する形声文字の発展により、漢字の字形は複雑化していきました。
しかし漢字は複雑化していくばかりではなく、逆によく使われる文字は簡略化されることもあります。
長さの単位は頻繁に使われることから、「尊」の字を大幅に簡略化して「寸」の字が作られました。
一方、尊敬の{尊}(たっとぶ)に使うときは元の形のまま使われ、現在に至っています。
「北」と「背」、そして「尊」と「寸」のように、元々ひとつだった字がふたつの形に分かれ、用法が区別されるようになったものを分化字といいます。
漢字は歴史上、複雑化と簡略化が繰り返されています。
近現代の日本や中国では、簡略化された字体が正式な字として採用されていますが、これも漢字の歴史から見ればふつうのことなのです。
凡例
ここまで、漢字の成り立ちを理解するための前提知識を説明してきました。
最後に、当サイトで解説する成り立ちの見方を解説します。
- ①:その漢字の字形の変遷を表した図。
- ②:その漢字が表意文字か形声文字か、あるいはその他の変化(訛変)によってできた字かの分類。
- ③:その漢字が何という語を表記するために作られた字なのか(本義)。発音記号は基本的に上古音を表示します。
- ④:その漢字の構成の説明。大文字で表示した上古音は諧声域(発音の範囲)を表示します。
- ⑤:その漢字を仮借して表記する、別の単語の一例。
- ⑥:その漢字の異体字。異体字の扱いは字書により異なりますが、当サイトでは原則として『全訳 漢辞海 第五版』に準拠します。
- ⑦:その漢字に関連する項目へのリンク。
- ⑧:参考文献。